「きっと君はもうここに来ないんじゃないかと思っていたよ」



翌日、あたしが薬草園に行ってみると、すでにユーキが来ていて、薬草の手入れをしているところだった。

彼はあたしが声をかけるとひどく驚いて目を見張り、そして苦笑しながらこう言ったのだった。

「どうしてですか?あたし、ちゃんと行くって言いましたよ」

「だって昨夜の君の顔を見たらさ・・・・・」

彼は困ったように言った。

ええ、そうでしょうよ。ユーキが誰なのか知ったときの顔といったら、さぞ見ごたえのあるアホ顔をしていたに違いないんだから。

「言い訳させてもらえるなら、昨日会った時に僕が誰なのか言わなくて悪かったね。本当は言うべきだったんだろうけど。
急にケイ、じゃなくて王様が急に宴席に出るように言ったものだから僕も知らなかったんだ。怒ったかい?」

「いえ、別に怒ってなんかいませんよ」

そうね。初めて会ったときすぐに言わなかった気持ちなら分かるかも。ユーキが愛妾だからという偏見で見られるのが嫌だったのよね。だから怒ってなんていないわ。

「本来あの宴会に僕は参加しないはずだったんだよ。出たくなかったんだけど、どうしてもって言われてしまってねぇ。モエをすっかり驚かせてしまったね」

ということは、ケイ王様から必ず出席するようにって命じられたわけね。もしかして集められていたあたしたち愛妾候補たちに、この人がいるから他の人なんてお呼びじゃないんだってところを見せつけるために、ってことかしらね?

この人以上に魅力的な相手はいないと言いたかったのかしら。さっさとあきらめて帰りなさいって暗黙の意思表示だわね。

「王の愛妾をやっている男に教わるのは嫌かな?薬草のことを僕に教わるのは中止にするかい?」

ユーキがあたしの顔を覗き込んで心配そうに聞いてきた。

「そんなことないです!」

あたしはおさげにしてきた髪の毛をぶんぶんと振り回すようにして否定した。

他人の恋愛事情に口を挟むつもりはないわ。ユーキとケイ王様って見栄えのいい二人だから、寄り添っている姿はとても綺麗だと思うけど、それだけよ。彼が王様とどういう関係でいようと、どうでもいいことだわ。あたしが必要としている知識を彼が持っているのなら、教わる理由にはならないわ。
あたしはどうしても薬草のことを教えてもらいたいし、教えてもらえる唯一のチャンスなんですもの。

でも・・・・・。一応尋ねておくべきかな?

「昨日あたしをこの薬草園から帰らせたのはケイ王に会わせたくなかったってことはないわよね?あたしはいちおう王の愛妾候補としてここに来ているんだけど」

あたしにそのつもりがなくてもね。だからそこだけが気になって聞いてみた。もしユーキがあたしをケイ王様が新しい愛妾に迎えるんじゃないかと心配になっていて、あたしを薬草園から追い出そうとしていたのだったら、申し訳ないことになってしまうわ。ここはあたしから辞退するべきよね。ユーキにそんな必要ない嫉妬なんてさせたくないし悲しませたくないもの。

でも彼はまったく気にしていない様子。それどころか、あたしの心配していたことなんて今まで考えていなかったらしく、ちょっとぽかんとしてからようやくあたしが何を気にしているのかわかったようで、少し笑っていた。

はいはい。あたしみたいな小娘はあなたのライバルになることさえ問題外でしょうとも。

「違うんだよ。君を急いで帰したのは、彼が君と僕との関係を邪推するといけなかったからさ」

はい?あたしが?

「でも、そうだね。・・・・・うん。ちゃんと説明しておいた方がかえっていいかもしれない。一緒においで」

どういうこと?

あたしがとまどっている間に何か考えついたらしくて、ユーキはあたしの手を引いて裏口から城へ入る門をくぐると、そのままどんどん城の奥へと進んでいった。

いくつもの廊下や建物を渡っていき、いったいどこに来たのか分からなくなるまで連れまわされて行かれたけど、ここはもう城の中央部で、王様が普段住んでいる私的な場所あたりじゃないかと思えた。そしてやがて豪華な装飾がほどこされた扉の前に到着した。

ここがユーキの私室なの?

ユーキがやって来るのを見ると、入り口守っている兵士は何も言わず、彼に向かって頭を下げた。そして彼がそのまま無造作に扉を開けて何か入っていこうとしても咎めなかった。

あたしがびっくりしている間に、ユーキはあたしを中に押し込むと、自分も中に入って扉を閉めた。部屋の中は広くて豪華な家具が据えられ、壁一面には様々な色糸を使い精緻に織り込まれたタペストリーが掲げられていた。

すごぉい!!

あたしは呆然としてしまって、それがお行儀が悪いってことも忘れて、小さい子供のようにきょろきょろと部屋の中を眺め回していた。

「ケイ、ちょっといいかな?」

ユーキが奥へと声をかけている。

えっ!?誰かいるの?

・・・・・って、今『ケイ』って言った?王様の名前よね?それを呼び捨て?なんでそんなに親しげな呼び方をしているの?

「なんですか?その娘は」

いかにも不機嫌そうなバリトンが部屋の奥から響いてきた。あたしはその声を聞いただけで震え上がったんだけど、ユーキはぜんぜん平気だった。

そしてゆっくりと姿を現したのは、やはりケイ王様。ここはケイ王様の私室だったんだ!!

「彼女はモエ・メアリ・ハリエット嬢だよ。スプリング・ヒル荘園から来られたそうだ」

ユーキはそう言いながらあたしの肩を押してケイ王様の前に押し出した。

お、押さないでよ。・・・・・泣きそう。

頭の中は混乱しきっていたけど、なんとか礼儀を思い出して丁寧にお辞儀をした。

い、いったい、これってどうなってるの〜!?

「昨日、僕のもとに連れてこられた娘たちの一人ですね。僕の愛妾か出来れば花嫁にしようと、年寄りどもがあちこちの氏族からかき集めてロンディウムに連れてこさせた者たちだ。しかしなぜ君が彼女を連れてきているのですか?」

う、うわ〜!声が怖いっ!低音で脅しつけるような響きがあるじゃないの〜!

「これからしばらく僕が奥の薬草園で、彼女に僕が知っている薬草のことをいろいろと教えてあげようと思っているからさ。彼女を薬草園に入れる許可を出して欲しいんだ。それと、この娘と僕とが一緒にいても文句を言わないで欲しいってこと」

あたしは思わず目を丸くしていた。王様に対して気軽にそんなことを言っちゃうわけ?!

でも、ユーキの言葉に驚いたのはケイ王も同じらしかった。ひょいと片方の眉をはね上げると、話の続きをうながしてみせた。

彼はあたしが昨日しゃべっちゃった家庭の事情や療法師になりたがっていることを簡潔に述べて、あたしがここにいる間だけ、自分の弟子として薬草の知識を伝えるつもりだと言ってくれた。

「妙な邪推をされたら困るから、君が何か理不尽な命令したり禁止したりしようとする前に連れてきて挨拶に来たんだよ。つまり・・・・・彼女を家に帰してしまおうなんて考えつく前に、きちんと説明して納得してもらおうと思ってね」

「しかし、君が女性と一緒とは・・・・・」

ケイ王様はいかにも不満そうにこっちを見ていた。

「午後の数時間だけだよ。彼女には短期間でいろいろと叩き込まなきゃならないからね。他には何もないんだから、気にしないでいて欲しいだけなんだ」

「でしたら、宮廷医師のところに弟子入りさせればいいことではありませんか。君がわざわざ他人に教える必要はないはずですよ。特に女性を!」

「だからね・・・・・」

対等に言い合いをしている!相手は王様なのに、まったく遠慮せずに!!

・・・・・びっくりだわね。

その上、話を聞いているとさらにびっくり。王様はユーキが女性といることに嫉妬するってことなのかしら?でも、ユーキは王様の愛妾で、彼に仕えているのだから、浮気をする心配なんてふつうはしないでしょうに。だって、浮気なんかすれば王様に処罰されてロンディウムから追放されても文句は言えないし、処刑されることだってありえることよね。

ところが二人のやりとりを聞いていると、まるで二人は同等の身分のように感じられて、むしろケイ王様のほうがユーキのご機嫌をとろうとしているようにさえ感じられた。上から目線ではなくて、なんとか説得してユーキの気持ちを変えさせようとして言葉を尽くしているから。

もしユーキが女性だったら、尻に敷いてるんだって思ったわよね。

でもこれってどういうこと?ユーキはただの吟遊詩人じゃなかったの?

「とにかく!しばらくの間、毎日午後は薬草園で教えているから、他の人たちが邪魔をしないようにしておいて欲しくて頼みに来たんだ。もちろん、君も邪魔しちゃだめだからね。いい?」

「・・・・・ならば見学を。せめて僕に見学させてもらえませんか?」

「見学、ねえ。見学だけなら、まあいいけど。でも、頻繁になるならお断りだからね」

「わかりました。きみたちの邪魔はしないようにします。他の者達にも二人の邪魔はしないように命じておきますよ」

ケイ王様はちらりとあたしの方をにらむと、しぶしぶ承知してくれた。

あたしとユーキは不機嫌そうな王様の部屋を出て薬草園への道を戻っていったけど、あたしは好奇心がうずいてしまって前を歩いていく彼に尋ねずにはいられなかった。

「ねえ、あなたとケイ王様とはどういう関係なの?ケイ王様に向かって言いたい放題して言う事をきかせるなんて!もしかして、何か弱みでも握っているの?ほら、たとえばベッドの中の人には言えないような性癖があるとか、怪しいアソビをしているとか」

「はあ!?」

ユーキは大声を上げてびっくりした顔であたしの方を振り向いた。

「だってー、王様はあなたの言う事を素直に聞いていたじゃない。それくらいしか思いつかなかったんだもの」

「・・・・・若いお嬢さんがそんなことをくちにするもんじゃないよ」

めっと睨んでたしなめてきた。

「言っておくけど、ケイにそんな悪癖はないからね」

「だったらどうして?吟遊詩人なんて身分の者なら対等に口をきくことすら出来ないはずでしょう?王の命令には絶対服従のはずだもの。なのに、あなたの方が言葉がぞんざいだったじゃない。だとすれば、惚れた弱みってことなのかなぁって思ったんだけど」

「吟遊詩人って?・・・・・ああ、僕のことか」

ユーキはちょっと不思議そうな顔をしてから、うなずいた。

昨日の午餐の後に、王様の命令で生まれて初めて聞いた楽器でとても綺麗な曲を弾いていたんだから、間違いなく音楽で身を立てている人。吟遊詩人よね?周囲もそんなふうに言っていたものだからあたしもそう信じて込んでいたのよね。あとで真相を知ってまったくの間違いだったことを知ったわけだけど。

他の女の子たちがひそひそと噂していた話の中で、ユーキは王様にとても溺愛されていて、誰にも見せようとしないくらいに大事にされていて。絶対に手放そうなんてまったく考えていないってところだけは真実だったみたいだわね。あたしがさっき図らずも聞くことになってしまった会話では、王様がユーキにベタ惚れしているなぁって感じたもの。彼の言うことはなんでもきくみたいな。

「まあ、確かに王様は僕に少しだけ負い目があるからねぇ」

そんなふうにつぶやいてみせたけど、それ以上のわけは言わずに足早に歩き出した。あたしにはそれ以上のことは聞いて欲しくないのかも。

ふうん、きっと何かあるのね?

それにしても、吟遊詩人が薬草に詳しいっていうのも不思議じゃない?いったいどこで彼は知識を得たのかしら。もしかしたら、ジプシーにでも習ったのかしらね?

ユーキって本当に不思議な人だわ。



それから何日もの間、あたしは毎日午後にやると薬草園に出かけて行ってはユーキにいろいろな薬草のことを教えてもらった。

もちろん侍女には口止めして、乳母には内緒で。未婚の女性が付き添いも無く出かけるっていうのはまずいから。

ユーキはとても博識で、様々なことを教えてくれた。

ゼニアオイの根は咳止めに効く。ラズベリーの葉は婦人病や疲労回復に。キンセンカやポプラの香油は鎮静用。オオギリソウとニンニクとノコギリソウは傷の消毒用になる。解熱用にはコーンフラワー、ヒドラスチス、イヌハッカ、ヒソップ・・・・・などなどなど。

「ジキタリスは心臓の薬になるし、柳のはや樹皮は鎮静剤になる。ただし用量を間違えると逆に毒薬になってしまうから、取り扱いにはじゅうぶんに注意するように」

あたしはユーキに教えてもらったことを忘れないように、せっせと覚書として書きとっていった。このときばかりは読み書きを教えてもらっていて感謝だった。たくさんのことを一度に教えてもらったから、覚えておくには多すぎる。きっといくつもこぼれ落ちていたに違いないから。

彼はやさしい顔や優美なしぐさとはまったく違う、とても怖い先生だった。

習ったことを覚えているか毎回きちんと確認するし、あたしが少しでも気を抜いた態度をみせたりすると、とたんに教えるのを止めて薬草園を追い出したりするような厳しさだった。

でも、教え方はとても上手で丁寧で、あたしがわからないときには何度も説明してくれた。的確な表現で薬草についての知識を惜しげもなく教えてくれた。本当に習いがいのある先生だった。

でも、そんな楽しい日々の間でも、あたしの心には影が差してしまう。

あと何日、ここに滞在していられるんだろうか?と。もっと長くここにいて彼にいろいろなことを教えて貰えればいいんだけど、それは無理。家司の仕事が終われば問答無用で荘園に戻らなくちゃならないってことは分かっていたから。すっごく残念なことだけど、でもあたしにはどうしようもないことなんだってしうこともよくわかっていたの。

だから、精一杯教えてもらえるときに教えてもらわなくちゃ。





でも、そんな充実した日々の中で、時々困ってしまう出来事もあったわ。

ある日、あたしはユーキの腕に赤くて小さな丸い痕があるのを発見した。

「ねえ、ユーキ。ここには刺すような虫がいるの?」

「え?いや、蜂やアブはこなかったと思うけど。毛虫はハーブ液をまいたからいなくなってると思うし」

「じゃああなたの部屋かしらね。寝室に虱除けかダニ除けのハーブを置いた方がいいんじゃない?」

「虫除け?」

ユーキはけげんそうな顔をして、何を言われているのか分からないって様子だった。

あたしはユーキの二の腕の内側を指さした。暑いからって腕まくりした彼の白くて肌理細やかそうな肌には点々と赤い痕がついていたから。

「あ、そ、そう。そうだね。虫除けね。うん、確かにハーブを焚かないといけないかもしれないね」

あわてた様子で返事をすると、そそくさと袖を下ろして痕を隠した。耳が少し赤くなっているようで、あたしから目をそらしてローズマリーの枝をいじり始めた。

あたしはユーキが他の男の人たちよりもずっと恥ずかしがりやさんだってことをこの数日で知ったわ。だからこれ以上彼が困惑しないように詮索しないことにしたんだけど。

いったいあれはどういうことだったのかという疑問の答えは、自分の部屋に戻ってから思いついた。

なんて、あたしって鈍感なの!!

その上、彼に口に出して指摘しちゃうなんて、なんてことを言っちゃったの!ああ、あたしのばかばか!あれって、あれって・・・・・。


キスマークに違いないじゃないの〜〜〜!!!


首とかに見つけたのならきっとすぐに気がついたのよね。腕だから思いつくのが遅くなったんだわ。それにしても、あんなところにたくさんキスマークがついているってことは、他にもあるわよね?つまりユーキのからだ中に・・・・・?!

うわぁ〜〜〜!!

あたしは思いついてしまった恥ずかしさをこらえるためにベッドを転げまわって悶絶してしまった。おかげで何を子供のように騒いでいるのかって、乳母に叱られてしまったわ。

次の日ユーキをどんな顔で見ればいいのか、ちょっとどきどきしながら薬草園に出向いたんだけど、彼は大人で、昨日の気まずい気分なんてまったく感じさせずにさっさと新しい薬草のことを教えはじめてくれた。余計なことに気を散らしている場合じゃないだろうって視線で叱られたし。

もっとも、彼は昨日はまくっていた袖を下ろしたままで二の腕を見せたりしなかったし、首筋も見えないようにさりげなく布を巻いて隠していて、ごくごく用心して肌を露出しないようにしていた。あたしはもう指摘するつもりはなかったんだけど、気にしないように気を使ってくれたのよね。

でも、薬草園の手入れをしていると時々見えちゃうのよねぇ。あそこのところとか、こっちのところとか、キスマークだなって。一度気がつけば、ユーキのからだのあちこちにそのシルシを見つけてしまう。

もう絶対に彼には言わないことにして見て見ぬ振りをし続けたんだけど、マメというかしつこいというか、王様がいかにユーキをマーキングしているのがよくわかってしまったのよねぇ・・・・・。